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東方神起 2015年4月東京ドームの想い出。

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日に日に風の匂いが変化を遂げ、すると木々に青さが増し、枯れ枝だったような木にポツポツと蕾が膨らみ始めてくる。既に20度近い日も訪れたこの頃、所によっては桜のつぼみがほころび始めているようだ。

桜…。日本を象徴する花。そんな桜への想いを、過去、幾多のアーティストたちが創って来ただろう。
代表される曲が数多あれど、私の中ではやはり、昨年の今頃発表された、東方神起の「サクラミチ」という楽曲が感慨深い一曲である。

既に韓国では超人気グループだったのが、2005年に日本デビュー。きっとその調子で日本でもすぐに人気が出ると思ったことであろうが、「冬ソナ」などで韓国人気がうなぎ上りではあったが、あいにく、日本には某男子事務所所属のアイドルグループが最も人気を集めているので、最初は殆ど話題にならず、数百人の小さな会場を皮切りに、日本列島を縦断してコツコツと地道に活動していった彼ら。
もちろん、韓国で実力を認められただけあって、歌やダンスは日本のアイドルとは段違いにレベルが高く、ビジュアルも180cm近いスラリとしたカッコよさに加え、一切母国語禁止で、たどたどしいながら一所懸命に話す日本語に母性本能をくすぐられ、若い世代からお母さん世代まで、確実にファン層を増やしていき、ステップアップしてようやく念願であった東京ドームに立つことができたのが2009年。
が、頂点から急転直下、まさかのグループが2つに分かれる事態となり、事務所に残った2人は、1年間、歌手活動を休止した。

このままもう「東方神起」という名は消えてしまうのか…とファンたちは必死に応援し続けた結果、残された2人、ユノとチャンミンで再び「東方神起」の名前を見事に復活させたのが2010年のこと。

ただ、それまでのように、再び日本で華々しくライブが出来るのだろうか…と実はファンの誰もが密かに心配していたが、彼らは着々と実力を増していき、ついには海外アーティスト初の日産スタジアムライブを満員の観客で埋めた記憶はまだ新しい。
それなのに「もっともっと頑張ります。」「まだまだ成長出来るはず。」と上を目指し、努力をし続ける2人に胸を打たれるファンたち。

ずっとずっと、その熱い夢の中に居続けたかったが、彼らの国では男性は国民の義務である「兵役」という制度があり30歳までにはいかなければならない。
「このライブが最後?」と毎年、胸を締め付けられる思いで過ごしたが、それから2年の時が過ぎ、ついに2015年4月の東京ドームでの公演をもって、ついに休止になることとなった。
その日はまさに春本番、ドームの間近では桜が満開となり、彼らの楽曲「サクラミチ」がオーバーラップして泣けてきてしまったものだ。

その一生忘れられない、ドームラスト2日間の日記を再度記す。

「4月1日。18時開演。
今回ツアーは関西組には嬉しい関西地区重点ツアー日程で、関東組はわずか4日のみのライブだったので、チケット難であったりで、ツアー最終にして今日が初日という方もいらっしゃる。
そしてツアーだけでなく、もしかしてこの公演を最後にしばし…という推測から、それはいつもの様相とは少し違う異様な熱気と興奮状態の会場内。その「休止の日」が来るのはファンになった時からわかっていたことだったし、同世代の芸能人や歌手がその日を迎える様を当然のように受け止め、様子を眺め、彼らのその日をシミュレーションしていたから、粛々と受け入れることが出来るはずだった。

だいたいツアーの前公演から少しの間があいた初日は、調子を取り戻すのに少々時間がかかることもあったし、今回は前公演京セラドームから2週間近く過ぎ、その間、テレビ出演や取材、オフかオンかは不明だが沖縄行きと間があいたし、いつもとは違う意味の最終公演かもということで、さらに緊張してリズムがつかめるのか?と勝手に不安になっていたが失礼な話であった。開演から二人のみならず、バンド、ダンサーとチーム全体、鬼気迫るステージング展開であったし、何より客席の熱と気が半端なかったから相乗効果となって、私の中では過去ステージを観てきたうち、MC、パフォーマンス共に最高の出来に思えて、無の境地で楽しんでいたその時、何の前振りもなくユノ様がそれについて語り始めたので、全ての思考が停止してしまった(笑)。

「いつ言おうかなと思ってました。御存知の方もいると思いますが、東方神起のツアーは、これが終わったら、しばらく会えなくなります。Chandelierにあるように「おかえり」っていってくれたら「ただいま」って、戻ってきます。僕は、元気で行ってきます。ここに、必ず元気に戻ってきます。約束します。これを、笑顔で伝えたかったんです。」
いやまさか。そう、兵役で休止は重々承知していた。が、5人あのようになった時から現在は一切、それについて言及せずのスタンスだから、今回も休止とはっきり言わずに匂わせて行くのだろうと思っていたのが、本国よりも先の兵役という言葉は使わないながらも、きちんとした休止宣言。それも最終日ではなくて今日。そうか今度はきちんと報告してくれるのか。

6年前、小さな会場からコツコツと努力して、ようやく夢であったドームに立ったあの日、頂点であったはずなのにギクシャクしたというか、私が少ないながら2008年から観ていた彼らだったらこんな空気感なのだろうか、噂されているそれはどうなんだろうかという疑問しか残らぬ、初ドームに感動ながらも腑に落ちぬまま、神宮、エイネとパフォーマンスをして、二度と一緒の舞台に立つことはなかった5人。そのドーム前後の雑誌インタやズームインなどでも「5人は家族以上」「なくてはならぬ存在」と語っておきながらの別離。
だからデリケートな話については触れることなく行ってしまうと思っていたら、そうか、きちんと報告してくれたのか。兄の急死と一緒にするのは何だが、まさかそうなるとは思っていないから、お別れの言葉も、気持ちも聞かず、永遠に二度と会うこともできなくなってしまった喪失感というのは果てしないもので、5人が別の道に歩むことになった時、何も言わずに終わってしまったというのは気持ちの持っていきようがなく、まあ当の本人たちもああいう展開になるとは思わなかっただろうけれど、あの時、「別々の道を進みます」とか「またいつか」とでも、ひと言言葉を貰えたら、2つのチームのファンたちもここまでたたき合うこともなく、それぞれの道を応援できたのではないか。まあ今となっては。

だから今回、きちんと報告してくれた上、必ず戻ってくると小指を立てて約束してくれたから(笑)、半世紀越えの婆が何を乙女チックなことをと思うが、あの有言実行の男がそう約束してくれたのだから、不安にならず、あちこち不具合出て来る身体も労わりながら(笑)「待ってるから」と小指を握り返すことが出来る、約束が出来るという喜びたるや。
その言葉を聞いた瞬間、「あああんあんあん」と大声で泣き始める若いお嬢さんたちはまだ青春真っ只中だから、次に目移りしているかもしれないけれど、大半の婆たちは辛抱強いし、とってかわる対象もそうはなかなか出て来ないから(笑)、きっとその日を生き甲斐として待っていると思うので、不安で押しつぶされそうな心中と察するけれど、「これ」で繋がっているんだから、どうぞ安心して行ってきて欲しい。エリーちゃんが言っていた「行って帰り」。中国・四国地方の挨拶らしいが、「必ず帰ってきてね」で英語の「See You:また会いましょう」と 同じ気持ちのこの言葉で送り出します。
二人とも行って帰り!!」



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